N.K氏 8年臨床のナース、そして13年間看護教員だった
N.K氏 2017年1月20日 13時30分~14時30分 研究室にて
●看護部長になった経緯を教えてください
8年臨床のナース、そして13年間看護教員だった。最後の組織にいた頃に、当該病院で、副部長を探していた。私は偶然その病院の看護部長さんと学会関係でご縁があり、副部長に公募でなった。当時の状況では、教員という仕事にも魅力は感じていたが、臨床も帰りたい思いもずっとあり、この機会に帰らなければ一生帰れないという思いから、一か八かやってみるかという思いで帰った。その後、2年間副部長やって(医療安全担当⇒病棟・業務担当⇒教育担当)その2年目に部長が定年が来ることがわかった。当時は看護部長に求める姿勢が変わってきている時代で、大学病院といえども病院として機能させることが重要であり、前後に法人化や医師卒後研修等重なり、大学も変革期だった。前部長はそんな時に外部から来て5年間の部長をされ、変革期にある大学病院で次のステップとして、看護部だけでなくい病院の中の大事な部門を任せる人として内外に人を探していた。そうした中で、4人もいる副部長の中から誰かは出ないといけないということで自分が選ばれた(本当は自分より年上の別の副部長がなると思っていた)。勿論、これまでの経緯から前部長は私にという思いはあったと感じているが…そうした経緯で部長になった。
ただ、自分には師長経験もなく、管理の研究者でもなかったので、前部長のネットワークで2病院に4日間の看護部長研修に行った。それが今でも自分の宝となっている。前部長の後を継ぐ人を託されて、2病院の部長共、病院の看護部の細かなところもダークな部分も含めて全部部見せてくれた。二日間全部OJTさせてくれた。そこで、その二人の立ち位置をみて、身が引き締まる思いがした。看護部長って、こんなに命かけているんだと…
前部長もそうだったと思うが、部下として、仕事の中で一緒にやっているとわからない。彼女は、すごく飄々としているが… 辞める時に…「荒れた土地を、手で鍬もって耕して気がつけば手にマメでいっぱいですよね」みたいな…そんな感じのイメージが最後しているが…皆さん美しいし、きれいだし、しゃきしゃきしてるし、そんな辛さというか、苦労は見えない、でもやっぱりそれはある、それが仕事なんだという思いを感じた。
●看護部長として、最も対応に困ったこと、苦しかったこと はなんでしょうか?
(あまり相談したり、公にしたりできなかったことも差支えない範囲で教えてください)
色々ありすぎて…明日思い出せば違うことも言うかもしれないが、今思うのは、7対1で大混乱する現場で新人が2割近く辞めていったこと…
A大は、自分が副部長の時に1年遅れでスタートし、本来なら19年4月1日からの予定が、秋頃になり、…7対1が取れない時期が長く、1か月でも早く!というプレッシャーの中、ぎりぎりの人員の中でスタートした。当時は、短大から4年制への移行期で本学からの卒業生もない時期で、いろいろ苦労しながらもなんとか頑張っていた。
当時は、自分が教育担当副部長時代に導入した新教育システムへの混乱も重なり、例年以上に現場への負荷が大きかった。本来なら7対1導入前の18年のうちに新しい教育制度が出来ていれば良かったが、それも出来ないまま、現場は、2~30人の人員配置に半分以上の新人が入って、日々稼働率も問われ、頑張っても頑張っても、変革が重なり大混乱だった。そんな中で新人を育てても、手厚くできないため、新人達は疎外感感じ…新しいプログラムも機能していかない、空回りの状況が続き…新人達が辞めていった…。次につなげる何かをと思い面接をしたが、本当に皆夢破れたんだということをひしひしと感じた。それは「看護学校で習ったことと全然現場は違います」という一言だったり…あんな看護とか、あんな人とか、あんなの看護じゃないとか…、あんな厳しい対応はありえませんとか…。でも自分は、習ったことは正しいと思うし、A大でみた看護の実態は違うと思っている。私から見れば、現場だって一生懸命やってるし、決して最底辺のことをやってる訳ではなく、いい看護や宝もある。勿論まだまだのこともある。ただ、その負のところしか見せられなかったという寂しさと十分なサポートが出来ず、夢破れて田舎に帰っていく中(それぞれ皆次の職場も見つけられる時代で皆前を向いたのは唯一の救いではあるけれど)…なんか、寂しかった…、責任感じた。
一方、職員たちにも申し訳ない思いがあった。大学の歴史を振り返ると、ナースのマンパワーが少ない中でも、新しい医療をやる所だから、とにかく“NO”と言わずに診療科と共にやってきていた。そのことで、患者さんたちが救われていく、助からない命が助かる。もし無理でも、家族もこれでよかったんだ、やることをやったんだって思ってくれたり、今はここまでだけど、今やっている研究がうまくいったらもっと救えることができるからと、目の前の辛い人を見送りながらも未来を見据えて医師と共に頑張ってきた歴史がある。大変でも前を向いてやっていく組織で…移植医療や医療事故といった辛い時代をのりこえ、急性期医療をやりながらも大学としての使命を果たしてきた歴史がある。一生懸命改善してきた、皆の努力や頑張って残っている人の尊さもわかる。残っている人たちも良くやってるのに、悪く言われて…そんな風に思われてしまった現場も、それはイコール自分のことだと思うけれど、それは傷つき、寂しさと同時に…責められない。
しかし、現実的に、辞めていく新人達の声を聴いていると、もっとかわいそうなのは、新人の方で、夢破れた若者たちが、一生、3ヶ月や4ヶ月で心が折れた…何とかしないといけない、もっと頑張ってほしいと思うが自分にもある。その葛藤があって、辞めた人も、残っているスタッフ達もどうすれば報われるのかと思った。それが一番辛かった。
しかし、現実にはその辛い思いは心に秘めて…師長やスタッフには「大変なことわかるけど、育てよう、育てる組織創ろう」と、「ここをのりこえれば来年は楽になるはず」と一生懸命鼓舞して、駄目なことは現場にフィードバックしていた。でも現場は本当に大変なんのに一生懸命耐えてる。その辛さっていうのは、自分が悪い(自分が教育担当時代に作ったプログラムで失敗してるから、私の責任)から、誰に言えるもんでもない、自分自身が、弱音はくというか、そういう辛さを口に出すような余裕がなかった。やっぱり何とかのりきらなきゃっていうことと、申し訳ないなっていう気持ちと でも必ず…A大っていいとこあるから、こんなことではない、今年は仮の姿だって気持ちで奮い立たせていた。
●看護部長として、最もやりがいを感じたことはどんなことでしょうか
やりがいってあんまりないのかもしれない…私は自己中心的なところあるから、役立ってるって感覚っていうのは自分にとって重要で、誰かの役にたってること。それはたとえば…あれだけの大きな組織なら1000床ある、ナースたちも1000人以上いるその人たちすべてのその役に立つこと。
それが、間接的であろうがなんであろうが、すべてが対象になる。それで、病院の中って看護師が出せないポジションはないし、絡めないところはない。だから、なんか気になったことに絡めるってことがやりがい。お節介にいける!みたいな、そこ行こうと思ったら、少々はハードル高くても、いける、(関わるというころが)許される。それが…部長位しかない。しかも、誰のお伺いも立てずに。自分の意思で絡める。そういう意味では、フリーな自分と…いつでも役立ちたいところに行こう思たら、行ける。それは今でも良かった職場やなあって思う…。体が10個ほしかったなあって思うけど、逆にやりがいを感じるところがありすぎた。きっと、立ち位置的には、副部長位が本当は良かったかもしれない…そこが、病院の組織の大きさゆえに、やりがいでもあるし、一方でも難しさでもあった。
●看護部長という職位を通して学んだことは?
いろんな事があったが、個別、個々との対話、人柄、1対1の人間としての関わり。
4年間の部長の中では、言いたくもないことを職責として言うことは多々あった。人事でも採用の場面でも…自分は弱いから、つい情が動くので、意識的に職場の人とは距離をとった、…個人的にメールや飲みに行ったりとかを控えた。
それでも、職責の中で会う1対1の関係がやっぱり大事、その人の人生かけて皆生きてる…大事な大事な人生、生きてきてる。職員も患者さんは勿論そうやけど、職員もそうでしょう、それがわかった…肌身でわかった。
例えば…最近感じたのは…、看護部長になりたてのころ、新人ナースが事故を起こした。そのナースが最近友人の結婚式に出席していて、偶然会ったんだけど…その時、当時の事故直後に我を失って取り乱した自分の事やその後の対応のことを思い出した。あの時は、…1年目のナースが障害が残って看護師で生きていけるのだろうか、とか、どうしよう!とか、えらい事や!と慌てて、整形外科の診療科長に電話して、その人もあんまりいつも仲良しやないんやけど(笑)、「先生!大変だ!」とかいうと、先生も「もう一遍ちょっと冷静になって状況を知らせろ!」って言って対応してくれて。…そんなこんなで、こっち来て、いろいろ治療して、その後長―い間、時間かかって…私は、組織としてきちんと対応するということと、ともかく治して、また一からナースとしてやったらいいからということを思って…と、お友だちの結婚式であった時には、すごい元気にしてて、軽く会釈しただけだったけれど…その姿見た時に、なんかやっぱり良かったなって思った。だからやはり、一人ひとり大事だということを思った。
だから、医療安全の事についても(医療安全で亡くなった家族の事とか思うと本当に涙が出てきて…)やはり職員のようにちゃんとかかわるということと、どうしても看護師やとり、現場の大切さを思う、医療事故に関わる当事者の辛さというのは…本当に言葉にできないものがあると現場に行って痛感した。私が行く時は、家族が納得しない場合等の最後の最後で、滅多にそういう場面はないけれど、…部長として改めて当事者として謝る時に、そこに至るまでの過程を思うと…本当に大変なことだと…そういうことを経験して良かったわけではないが、一人ひとりの今が大事で、失敗はするし、うまくいかないこともあるが、その時に精一杯やることが大事。
そうすると…一番初めの話に戻ると、新人ナースの事故の時もあんなに慌てることなかったのに…なんで慌てたんかと思いながらも心配やったんやろうね。そのナースが元気にして、結婚して、笑ってる…ま、そういう意味では、その…恥ずかしかったけど…あわててよかったというかねえ…自分なりに、そういう風に思うかなあ…そうそう、今も思うと恥ずかしいけれど…結局生きていくって人との関係だから、今も人を悲しませたり、怒らしたり、きっと傷つけたりとかしてると思う…だけど何とかそうならないように、一生懸命やろうとする。沢山失敗して…でもいいかなと思える。それは、傷つけようと思ってるわけでないし、何とかしようと思って、自分なりに精一杯やろうとしているところが人間重要で、それがあればなんとかなる。失敗は少しでも少なくするために勉強する。そして、医療安全でも体制を整える。という風にどんどん、仕組みを整えていけば、失敗が減るから…ちょっとでも皆が嫌な思いしたりとか、命を失ったりとか、怪我したりとか,怪我も上手く対応できるとか、いう風になってくると思う。そういう仕組みを整えることは重要、勉強もすごく重要、でも結局は、1対1のところのそのことを良くわかることが大事。そこを忘れたら、看護師やない、人間やないと思う。看護部長の仕事って結局そういうことで許される。
色々と思い出したけれし…、現場はやっぱり大変…、医療安全はなんといっても頑張らいといけない。医療安全ばっかりで看護を忘れているというけど違う。医療安全は一番大事。ご家族のご本人のこと思ってみれば…そこをやれるのは最低限!最低ラインだから、
いくら優しくったって命を失ったら、その悲しみの深さというのは、きれい事では済まされない。皆、わかってることだけれど、それが肌でわかった。教育者としては、そこはとても今、役に立ってる。何と言われても揺るがない。現場は変わっていくから、新人ナースとかの時に、色々と出会った患者さんから教えてもらったこう自分にとって大事な看護とかいうところが、今でも時代が変わっても、全然、看護部長になっても同じだと思った。その大事な事を看護として自分はどうあるかっていうところは変わらない。看護部長で現場で実際に体験して、これは大事だと思った事はそのまま自分の核になって、教育している時もそこは動じない。
●看護部長を辞めてから、今に至るまでの仕事内容と、その仕事を選んだ理由を教えてください
本当は、あともう3年位やるつもりで居てたんだけど、ちょうど、今のポストが2年近く空いていて、ずっと探していて「このままだと医師にとられる」と頼みに来る人がいて…私は短大時代に看護師が教授になれなかた時代を知ってるから、せっかく4年制に皆努力して下さって、こうして看護のポストができたのにそこをまた減らしていくのは辛かった。当時は、大学と病院が連携する時代で、様々なプロジェクトも動いていた。あちこちの病院の看護部が大学と一緒になって質を上げていって、大学病院の使命を果たす時代になってきていた。しかし、出来てまだ間もなかった関係もあって、上手くいってなかった感が少しだけあった。折角、大きなプラントもおちるし、病院長や関係者とも連携の重要性については話す機会はあった。しかし、まさか自分はと思っていた。それは、自分はリサーチ断ち切って副部長で現場へ帰って、もう一度研究職に戻るとは思っていなかった。それでも何度何度も来られると…そんなに困っているのかと思い、そこでまた、私の役立ちたい感が出てきて…
一方、現場を見たときには、報道等もあった大きな問題も、それなりに落ち着いている感じもあり…準備期間も考慮して1年後位だったら行けますって返事したんです。病院長に相談しても好意的な返事だったし…。
気になっていた事件後の対応については、事務に確認しても自分が心配していたことはなさそうで、自分がしっかり責任がとれるし、次の部長に迷惑かけることのなさそうなので、自分が一番心配していたことはなさそうだということで決心できた。
研究については、もう一度勉強して、連携を図る事においては、役にたてるかなと、私は病院の看護の発展のために、連携は大事、絶対いると思ったので、その為にはやりましょうということで…
●看護部長職に就いていたことが、どんなふうに今の仕事に活かされているでしょう
具体的なところでいえば、組織の仕組みを違いを活かして両者(病院と大学)にとって良い方法や説明の仕方が工夫できること。
組織によって全然動いている世界が違う…当たり前のことだが、意外と気づいていないところがある。こちらから見たらおかしなこと、改善すべきことであっても向こうにとっては、時間かかる事だったり、一方、こちらから変に見えてもあちらからしたら必要不可欠なプロセスだったりする。細々とした色々なことが理解できて、両方の気持がわかる。知らないと批判もしたくなるし、悲しい目にも会う。出来るだけ冷静に、仕組みという視点で説明する。病院がなぜそんな事反応するかとか、逆に大学はこうだからと仕組みの説明を両方できる。
病院側に顏の見える人が大勢いて、(連携する上で)楽だろうと思われているかもしれないが、自分はそういう関係を使って依頼には行かない。逆に気を使うし、A大はドライだからそんなことないと理解はしているが。そういう風にしないでおこうって思ってる。
逆に大事にしているのは、大学という硬い組織に対して、仕組みを積極的に使うこと。そうしないと動くことも動かなくなり徒労に終わる。出来るだけ、そこをわかって、発展して一緒にやって、看護の発展を、看護の職能をあげていく、地位向上というよりも職能、仕事としてちゃんとやれる…看護の仕事のいい部分が発揮できるような職業能力の向上を目指したい。
その為にも研究もとても重要で、A大学の中では、研究をしないと、新しい医療のために人材も投じている価値がない。ここは研究だけやる組織が横にあり、ここの機能を使えば病院もできる。病院の機能を使えば大学ももっと発展できる。アウトリーチしてるような研究もできると思う。相互のためにやれることが結局は、現場で質の高い看護ができて、(先ほど話した)患者さんたちは泣いたとしても、怖かったけど治療受けて、上手くいってよかったとか、ちょっと障がいも残ったんやけど、まあなんとか人生つながるわとか、まあ駄目だって本当にもうこれで闘いきって、亡くなってしまう、死んでしまう自分や家族失った人にとっても、それで良かったかも! とか、そんな風に思えるようなことをやるようなことが、実現すると思う。それは簡単なことではないし、仕事は苦しいと思う。その事やり遂げていこうといつも新しいことやっている一方で教育機能の病院の役割として一般の急性期の役割も果たしている。広範囲なことやっている中にそれがあるから…、大学病院独特の困難が一般急性期の困難感とは違う別軸である。それを踏まえ、それを活かして、成果をあげていく組織を創る。それが実現したら、私が出会ったような新人達も「ここで会う自分たちの看護は違いました」って言ったけれど、もうちょっと整理して考えれば、そうでもないとか、もしくはそう思うけど、きっと、やっていれば何かあるはずと思える、希望が持てて、今はみえないけれど見えるかもっていう希望がもてるとか、そういうことに繋がっていくと思う。
そのためには、それに向かって皆努力して来たと思う…、私も皆の努力の中のひとつの歯車になって、やれることが連携だった。そして、その取組みには終わりはない。だから、自分自身が今度またバトンタッチする時が来る。その時はまた違う課題があり、それはまた誰かが歯車になってくれるんではなかろうかと思う。そうしてこうやっていけたらいいなあという風に思う…
●最後に、次世代看護部長に伝えたいこととは?
何でもやったらいい…、カラーがあるので…、自由にやってみたらいいと思う
ああネバナラナイとか思うと自然と制限がかかっていくと思うので…自由にやってみたら良いいと思う。
私の唯一の後悔は、大学という組織守らねばならないという意識が強く、自分は元々自由にやるタイプで好き勝手やってしまうところがある為、逆に自分ではおさえた。あまりクリエイティブなことはあまりやらないでおこうと思った。着実に行こうと思った。部長就任時が、前部長の改革後で、安定させる時期だと思っていたこともあったが、今から思うとクリエイティブって大事だと思う。
着実に整え、石橋を叩くというのもとても重要だが、クリエイティブなことは、トップがやると言わないと現場は出来ない。トップの人は、新しいことや自分が良いと思うことをクリエイティブにやるような自分を持っていると結局仕事が楽しくなると思う。
あとはリスク管理だけはしないといけない。そこは良く観る。毎日、現場を良く観て、皆の顏を見て、皆が元気かどうか見ながら、変化を察知する自分を作っておけば大丈夫。部長にまでなる様な人は、現場の看護を良くやって観察力ある人達が成果をあげて認められている人だと思うので。自分の観察力や感性を信じて、観ていると…大抵の事は あれ?と気づく。あれ?と思ったら突っ込んでいけばいい。それさえ、やっておけば、後はクリエイティブにやっていくことは、世の中を発展させ、時代の変化にも対応する強い組織になり、何より若い人たちがやっぱり、クリエイティブなところを感じると元気になると思うので、そういうのがやっぱり大事かなあと思う。
ただ、疲れてくると観察眼が緩むので、そこをどうバランスをとるかということが難しい。部長になると扱う範囲が広いから、委譲することも大切だがその方法も慎重にすることが重要。自分が知らない事を委譲するなんて出来ない。自分がわかっているところ、そのプロセスが見えないと委譲できないと思う。(周囲からは)抱え込むからって…言われるが、放すことって、そんなに簡単な事じゃない。部長であっても、この事は本当は委譲したいけど、自分の得意分野だし、大事なことなので委譲できないというのが一部あっても良いと思う。しかし、そこは自分としては気をつけて、手放したところ…。それは、私は…管理の経験が少ないので…わかっているところを委譲しようと思うと、得意な分野でも手放すしかなかった。好きな分野でも。得意じゃなくてわかってないところをまず自分でわかっていく、そして、わかったところで出来ると委譲、そこはポイント、大事やと思う。看護管理者というのは現場と近い、副院長とかもうちょっと本当の管理者になれば違うかもしれないが、経営者とかなると…。しかし、看護部長には現場のマネジャー的なところがある。大学病院というあんな大きな組織でも、基本的には、看護部の長。一番やってほしい仕事は、執行部で病院全体の仕事もするけれど、心底期待されているのは看護部の長であって欲しいという事。それはひしひしと感じた。現場の細部にわたって想像できて、なんでこんな事故が起こっているのか、自分の口で説明できる。三つか四つ聞いたら、自分の口で説明できる。そこがやっぱり重要だった。そんな感じの組織だったからもしれないが、とにかく、わかってないと委譲できない。そういう事はあると思う。でも、それをやりすぎて自分に余裕が無くなると、今度は観えなくなる。疲れて…見えなくなると失敗する。だから、出来るだけわかっていったことを伝えて、委譲して、その下も成長するのをサポートして、わかなかったら教えて、出来るんだった放したらいいと…、そんな風に上手にしていくことで、育っていく。委譲というのは、丸投げではないから。委譲したことによる寂しさや本当は委譲したくない気持ちは部長にあって然りだから、そこをうまく問うて、抱えた方が良いのか、自分の時間を考えてやっぱりこれは放すしかないと思うのかは、自分だから、そこは冷静に判断したらいいだけの事だと思う。
だから、私が思うのは新しいこととか、クリエイティビティは大事。得にこの時代
そういうのでないと、病院も生き残れないし、その為には観察眼がいるので、地道な活動がいる。そのためには元気でないといけない。で、上手に委譲する。
委譲するときにはわかっていることを委譲する。
私がもう一度6年前に戻って、その時の自分がもしもOJTでやってきたら、それをいうかな。それはやっぱり、(OJTでお世話になった)両部長ともやっていた。それを私は観たと思う。一番心うったのは、現場を歩く、歩いて何をみているのかの姿をずっと二人ともついて行くと、それぞれ歩き方は違うけど…良く観てるし、その事から発言をしてるし、幹部会では、それぞれ思い描いているビジョンがある。だからこそ、普段は涼しい顏をして仕事をしているように見えても水面下では必死に足を漕いでいる。その姿を見せて貰った。だから、これから新しくやる人には、そういうメッセージをするかな…自分も…。
【その他は?】
こうして話すると、思い出されるのは…一人ひとりの職員と面談したこと…
部長の一言って,自分が思う以上に影響力大きいのかもしれない。今、話して気づいた
本当に医療事故の時も…現場の人たちは皆、良くやってくれるし、普段は委譲しているけれど、ここっていうときは必ず会う…。その時に一言かけたりしたことを結構覚えていてくれて、結果として、会えるのは元気な人たちなのかもしれないけど、元気にしてくれてて、その時の苦労は、糧になってる感じもあって、皆さん大抵若い人たちは、まあ結婚されたり、働い続けている姿にあえる…だからこそ、本当に1対1の対話は重要
(部長時代のことは)反省することは多いが、振り返ればいい事。日々なんか反省することばかりで、そんなにハッピーな毎日じゃなかったけど、自分というのを見失いがちで、忙しくて…日々なんか心動かして、そのざわざわ感が…当時と今では少し違う。今の学生たちとの関わりとは似ているが、ちょっと違う。ナースの向こうに見える患者さんの存在が大きい。学生さんの向こうにもいるけれど、それはちょっと遠い。スタッフの向こうには、そのすぐ後に患者さんがいる…リアリティを持って。
私自身、8年間の看護師経験の中にも強く強く残っている。特に初めの1年…、何人もの患者さんが浮かぶ…病とともにあることの大変さっていうのを、そこで見えるものとか、そこにタッチする仕事の特性というのがあって、いい仕事だと思う。人生を変える。ナースになろうと思ってなかったし、そんなに…、だけどなって本当に良かったなあって、今思う。それは、いつの経験ですか?と言われたら、8年間の看護師の経験で、それがあるから、教員も看護部長も続けてこれてるいるんじゃないかなあって今も思うから…、
だからやっぱり大事…。若い人たちの初めの経験というのは大事じゃないかな。
(一番辛かったことと聞かれて、新人の離職の話が出てくるのも自分が大事にしたいところと重なっているから) そう、だから、余計にそこは辛かった。
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